本日我が家の2階でミソジニーホモソーシャルな会合があった。私はコーヒー屋さん及びタイムキーパーとして賛助出演。


恐らく私の同居人はリベラルな考え方の持ち主で、凡庸な発想な私はよく膝を打つ。頭が回らずついて行けないこともあるが、落ち着いて考えればやはり納得することが多い。
いわゆる男女差についての考え方も、それほど"らしさ"を強要させないので、ムカつくこともほとんどない。


なので、私も寛容でありたい、と思い実際できる限りではあるけどやってるとおもう。


でも、今日会合は行われた。

覚書。

湯船の中で今週を振り返る。久しぶりに人間社会に出たからずいぶんと刺激を受けたと思う。きちんと朝起きて、テレビ見ながら紅茶を飲んで(最近コーヒー飲むのがしんどい)、バナナ食べて、靴下を履いて、コンタクトをつけて、櫛を入れて、ファンデーション塗って、男だったらファンデーション塗らなくていいんだろうなと思いながら出かける。


私も中年の域に達してしまったので、いわゆる同期の中で上の方になっている。おばさんを自称するとき、自分よりも年上の女性がその集団にいたらえらいことになってしまうけど、私が一番上なので気が楽。でも周りの子達は気を使うんでしょうね。自分が楽なほうが大切だから、そのことは知らないふりをする。だいたい気を使うのは男なんだからいいんだよ。ふてぶてしくなってよかった。おばさんバンザイ。

知らない人たちのなかで長時間過ごすのは緊張する。救いは前職と同じ業種のところなので業務上での不安が他の人に比べて圧倒的に少ないこと。その分人間関係に頭を回すことができる。サトウさんには本当に感謝の気持ちでいっぱい。ありがとうございます。


それにしても若くて賢い人たちは見ているだけで気持ちがいい。なんて気持ちのよいやつらだ(ジブリ風で)こんな若い子と一緒に働けるなんて本当に運がよかった。恵まれた環境。少し言いすぎ。でも本当にみんなかわいらしい。よい雰囲気。ラッキー。

ベンジャミンバトンをみた。CSでやっていたのに気づいたのをみたので最初の30分くらいみのがしたけど。たしか去年の3月ごろ映画館へみにいったと思う。感想をちょっぴりここにも書いたと思うけど、そのときの自分の状況と合わせて考えてしまい泣いてしまったりしたとか書いていたような気がする。映画館で2回見たことある唯一くらいの映画のような気がする。


ムラカミハルキがどっかで言ってたような気がするけど、自分の本を読んでセックスをしたくなったという感想はうれしい、とかいうのを読んでから、セックスを連想させる作品(本とか音楽とか)は私の中では好印象というルールになっている。まあつまりそんなことを主に考えながらみてた。


この映画に限らずだけど、最近よく考えるのは物事は始めから決まっていてそれを無理やりに変えることはできない、ということ。本読むなり人との会話なりでそれを実感している。実は「ミニブロク」で偉い先生がそのようなことをつぶやかれててひざを打ったのはつい最近のことだけども。そのように考えたらあきらめられることが増えたと思う。最近よくなったことのひとつ。ひとりの人間が年老いて生まれて、だんだんと若く生長していくという特殊な人生だからひとつのトピックとして生きてきて映画の題材にもなるのだろうけど、特殊だからたまたま浮き彫りやすくなっておるだけで、他のどのような人生も同じものだろうなと思う。


デイジーの「ダンスはラインなのよ」はわたしもうっすら思っていたこと。たいして詳しくもなくミーハー的視点でローザンヌとかをみるのだけど、あの恐ろしい辛口コメントの人でなくても下半身がまっすぐでない人とほっそりとした足の持ち主ならやはり後者の方が美しいダンスに見える。四季でもはるみちゃん関連でも、お芝居やってる人は体が美しいなとどうしても思ってしまう。


ベンジャミンとデイジーの人生のなかで何度もすれ違って交歓を行うのをみて、美しい人々の美しい関係においてのみあのような情熱的交流が行えるのか、という平凡なわたくしたちの疑問。あれは私には関係のない世界なのか。世の中の特別な人たちだけが味わえる果実なのか。

ブログとか書いてみたい!と思い取得したこの日記スペースですが書き始めてみてひとつ感じることがあった。
みんなみたいに、あのかっこいいはてなダイアラーさんみたいに書けない。


今考えれば当然のことで、あの当時本当に書きたいこと、いいたいことなんてあったのか?というのが代表的答えのひとつなのだけど、それ以外にも書けない個人的理由があり、例の消した日記等からはそれがすごく伝わってきた。個人的理由なのでわざわざこのweb上に残す必要もないのだが、書いてみてもいいかなと思うような気もして書いてみたりみなかったり。

当時、たとえば藤臣柊子なんかが自分の経験とあわせて読みやすい漫画を描いていたと思う。ただ、今みたいにNHKで頻繁に特集されたり、それを題材にしたドラマができるような雰囲気はなかったと思う。世間の浸透率も低い感じだったし商業的場面でネタとして振ってもまだおいしくない感じ。


具体的病状を挙げていこうかなと思って書き始めた文章ですが、案外まだ傷は癒えておらず、今はまだあいまいな感じでしか書けない(ここは多分笑うところ)。要は考えてることがあってもうまく整理し直すことができない状態だった。書きたいこと、書くべきことがあってもそのことに対して集中できないから散漫だったり、話の軸がぶれたり。勢いで書いてても、他者には理解できないし、自分でもあとで読み返すと変なのーとなってしまう。
個人的「ミニブログ」の効用は、何度も文章を書くことで私自身が回復してる兆しをかんじとれたことだと思う。